あぶだくしょん🛸

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ゴジラ-1.0のマイナスとは?

 めでたくゴジラの最新作であるゴジラ-1.0が公開され前評判よりも高い評価を得ている。このブログを執筆している時点で興業成績は10億を突破しアメリカでのプレミアでも高い評価を得ているという。
 1年前にゴジフェスにて唐突に発表された今作には期待と不安が入り交じっていたが本編を観て見事に払拭してくれた。
 そんな訳であって今回は待望の新作ゴジラ映画のゴジラ-1.0を取り扱いたい。

注目点

ゴジラ対高雄
最初に注目したいのは高度なVFXである。
描かれているCGの作り込みは凄まじく真っ昼間であってもゴジラの存在感が浮いていないのだ。
これは背景もCGで描ききっているので背景とのムラが存在しないのもあるとは思うが、それを加味してもゴジラ本体の作り込みは非常に高い水準にあった。
 更にCGの強みであるカメラワークの自由度も遺憾なく発揮されている。戦艦高雄とゴジラの対決シーンが最も印象深いので例に挙げよう。
これまでの船舶と怪獣の絡みは船舶の模型に対して怪獣の着ぐるみが距離をおいていたが、今回はカメラを艦橋をアオリの位置においてゴジラが高雄に組みかかるシーンを撮っているのである。このカメラワークは今までの怪獣映画では見られない構図であった。
 これは山崎監督と昵懇である白組による高度なVFX技術によるものであって今回も素晴らしい技術力を発揮してくれていた。

暗い戦後
 主人公・敷島は特攻揚がりの復員兵である。復員した敷島を故国で待っていたのは空襲で焼き払われた故郷と両親の死である。更に特攻から生きて帰った事と敗戦の汚名を容赦なく近所の人から投げつけられるのである。
 そして印象的なのが闇市のシーンである。戦後の物資不足の中で闇市の存在は大きいが、最悪な衛星環境や雨風を凌ぐのがやっとのバラック同然の東京都の下町の荒廃ぶりや、典子の口から発せられるパンパンという職業が戦後日本の荒んだ有り様を物語っている。
 因みにパンパンとは進駐してきたアメリカ軍人やGHQ職員を相手にした娼婦の事であり、現在の立ちんぼに近い存在である。彼女らは敷島が闇市で赤ん坊の明子を抱いているシーンで派手な服装で通りかかるのが確認できる。
 敗戦による社会不安と町と人の荒廃は良く描写されていた。そこらの復興とゴジラの襲撃によって東京が再び瓦礫の山に戻されるのと敷島の幸福が絶たれるという一連の流れに通じるので闇市等の描写には意味をしっかりと持されていた。

日本と敷島の-1.0
 -1.0とタイトルに冠されているが、-1.0の表す意味はゴジラによって復興の兆しを挫かれた日本とトラウマから脱しつつあった敷島の心情を指している。
 先程も述べたが復員した敷島と敗戦した日本の荒んだ姿は正に0であった。時を重ねて敷島は典子と出会い、明子を育てながら終戦間際のトラウマを拭っていく。しかし、ゴジラの銀座襲撃によって典子が生死不明になり東京は再び瓦礫の荒野になってしまう。0からマイナスに転落してしまうのである。
 敷島の戦争が終わらないというセリフが指すようにゴジラによってマイナスに叩き落とされた日本と敷島が再び0へと向かいプラスへ踏み出すまでが今回の大きな主題なのである。

相対するシン・ゴジラ
 シン・ゴジラとは引き合いに出さざるを得ないと思う方々は多くいらっしゃるでしょう。一口に言ってしまえば私はシン・ゴジラより興業は跳ねると踏んでいる。迫力のあるVFXとクセの無いストーリー構成、迫力のある映像の数々は多くの人を焚き付けるであろうと思えたのだ。
 シン・ゴジラの提示したのは初代ゴジラをテーマからストーリーまでの徹頭徹尾を現代にリメイクしたのであるが-1.0は最新の技術を用いて初代ゴジラをリメイクしたというのが正しい。
 現代に落とし込むのと現代に通用する様に再構築したと言葉にすれば同じであるがフィルムから発せられるのは真逆の思想なのである。
 ゴジラと相対するのはシンでは国であるが-1.0は民間人で敷島という個人である。また、人々の心に惹き付けるのは震災という災害と戦後という時代と言う点でも異なるアプローチであったと感じられた。
 シン・ゴジラにあったモキュメンタリー的な要素に真っ向から挑むために映画らしい起伏のあるストーリーで挑んだのが-1.0であったのである。

ラストシーンの真意
 ラストシーンの典子からゴジラの心臓への描写には続編を匂わすよりも原爆の放射能による病症や戦後の高度経済成長期に起こった公害等の昭和期の困難や災害を意図した演出であったと取れた。
 戦後の復興のみが日本の窮地ではなかったのである。むしろ大戦からの復興こそ困難の始まりでしかなかったのである。様々な事件や衝突が繰り返され幾つもが現代にも悔恨を残している。その行く末をゴジラの生存に託すことで厄災は続くことを暗示したのである。

感想

 上記を踏まえると恐れ入ったの一言に尽きる。もっと言うならば山崎監督が以前に製作したルパン三世でのガッカリ感を見事に払拭してくれた。心の底から流石は三丁目の夕日を撮った男と褒め称えられる位には面白かった。

 山崎監督のカタルシスへのアプローチが直喩的であるのは私の感性にはピンと来ない所でもある。敷島のゴジラへの特攻での脱出装置の展開や澄子さんの明子や敷島達への接し方の変化等が敷島にスポットを絞りきっているが故に希薄になっている様に見えた。
 VMXと徹底的な町並みや戦艦のリアリティーを追及したことによる映像への没入感はしっかりとあり、ジオラマの頃から変わりの無い驚きを味わえたのが何よりも良かった。日劇を破壊するシーンで数寄屋橋近くの地理が頭に入っている人ならばアナウンサーが言う前に「日劇がやられる!」となった筈だ。
 シン・ゴジラと同じ土俵に立たされながらも全く違う切り口で見ごたえのある映像を見れたので満足であった。

 ゴジラも長くシリーズが重ねられてきた故に人それぞれに好みがあるとは思うが私自身は好きな部類ではあるし人には十分勧められる面白さがあったと思う。